第18回〜☆inトゥルキイェ(C☆)その3:世界遺産を堪能す(by寺尾聰:なんでいつの間に緒形直人ぢゃなくなったんだ?)〜
あーども。あなたの☆です。たまの休日、ダブルヘッダーで載せなければ年内に終わりそうにないので、頑張って書きます。
それにしても、表題のとおり、寺尾聰も悪くないんだけど、緒形直人の何がいけなかったんだらうか?流行語大賞が何で「タマちゃん」なんだらうか?鳩山由紀夫はこの不景気をどう良くしていこうということにはそっちのけで党を身売りしようとしてクビになるし、☆には理解しかねる事ばかりのけふこの頃でやんす。〜ブルーモスクを訪れる〜
セルチュクさんのオフィスに戻って一休みした我々は、ブルーモスクとアヤソフィアに行くことになった。セルチュクさんは他のお客さんを空港に迎えに行かなければならなかったので、スタッフのケナンさん(30歳位男子)に我々を託し、連れて行ってもらうこととなった。
石畳の電車道のだらだら坂を登って行くと、手前にアヤソフィア、向こう側にブルーモスク、その間に挟まれた公園に着いた。朝、車で通っただけだったが、いよいよ“歴史”をこの目で見て、触れて、撮りまくる機会に恵まれた。まず、ブルーモスクに入る。正しくはスルタン・アフメット・ジャミイ(ジャミイはトルコ語でモスクのこと)といい、17世紀初頭にアフメット1世の名により建てられた。基本的にモスクの拝観料は特にないところが多く、入口に人がいる時でも寸志を置いておけば大抵は一般の人でも入れる(但し、礼拝時を除く)。
でかい建物の美しさ、それを取り囲む6本のミナレット(尖塔)、回廊の美しい模様にも圧倒されたが、中へ入って更に圧倒されたのは、高いドーム天井を埋め尽くすアラベスク模様、細密で美しい色調のタイルで飾られた梁と柱、そして正面の祭壇上のこれまたカラフルで美しいステンドグラス。天井から吊り下がった大きなシャンデリアと共に、ミステリアスな雰囲気で、ただただ、ポーッと見とれるだけだった。「ブルーモスク」の「ブルー」は、外の屋根の色に由来するのかと思いきや、内部のタイル装飾の青色の美しさに由来するのだという。まあ、私にとってはどっちにも取れるから、限定する必然性はないのだが。
床には絨毯がビッシリ敷き詰めてある。これもまた美しい。一般的にモスクの絨毯には、信者から寄進されたものが多いという。トルコ人の99%はイスラム教徒という。もっとも、他のイスラム教国ほど厳格ではない。日本でいえば、神社の氏子達や、仏教寺院の檀家達が、盆暮れ・祭礼等に何かと寄進するのと同じような感覚なのだろう。〜教科書から飛び出したアヤソフィア〜
ブルーモスクを出ると、先程の公園を挟んで向い側に、赤い色をした、アヤソフィア寺院が見える。ブルーモスクの青に、アヤソフィアの赤、何とも心憎い世界遺産コンビぢゃないか。
そもそも、約20年前に高校の世界史の教科書で初めて写真(白黒)をみた時は、セント(聖)・ソフィア寺院と呼ばれていた。
当時の先生の話で、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のキリスト教会として建てられたこの寺院は、金色に輝くモザイク画や金の柱というように、金がふんだんに使われていた。ところが、15世紀にオスマン・トルコがビザンチン帝国を滅ぼして、時のスルタン・メフメット2世の命により、この寺院をイスラムのモスクに改造し、周囲に4本のミナレットを建て、祭壇にはミフラーブ(メッカの方向を示すイスラム寺院の祭壇)を建て、キリスト達の肖像が入ったモザイク画は全て漆喰で塗りつぶされてしまったという。
20世紀になって漸く、調査のため漆喰を剥がしたところ、金色のモザイク画が鮮やかに蘇った…そんな話が当時、私の脳裏に強烈に焼き付いて離れなかった。そして今、アヤソフィア、あるいはハギア・ソフィアと呼ばれるこの、教科書の世界でしかなかった寺院が、私の目の前にある。早速入ろうとするが、諸外国のツアーの人々でチケット売り場がごった返していた。漸くチケットを買って入る。1500万TL(約1100円余り)だった。
中は流石に広い。但し、天井の改修工事をしているため、中央のドームの1/4ほどのスペースは、下から天井まで足場で覆われていたのが何とも残念だった。
しかし、正面祭壇の上にまします、聖母子のモザイク画。その両脇で守護する天使達のモザイク。ああ、教科書でしか分からなかった歴史の証拠を、生で初めて確認できたんだと実感する。その下にアラビア語で書かれた円盤が両脇に掲げられ、下にある祭壇スペース(本来キリスト教用の)の中央ではなく、ちょい右側の方にミフラーブ(イスラム教用の)が据えられているのが何とも面白い。こっちがメッカの方角なんだなと認識した。祭壇の右側には、
非常階段のような段々があり、これはイスラム教用の説教壇という。説教師は最上階は予言者ムハンマドの場所だというので、段々の真ん中位でコーランの文句を唱えたりするらしい。
それにしても、本当に金やら、大理石がふんだんに使われている。回廊の柱にも。回廊は薄暗いが、シャンデリアが仄かに天井を照らす。回廊の途中のある柱に多くの人が群がり、その中の穴に親指を突っ込んでグルグル回していた。お願いごとをしながら親指を1回転すると、願いが叶うという。縁起物が好きな私が挑戦しないはずがない。早速体を予め半分ひねっといて親指を穴に挿入、無理無理1回転回してみるが、「あひー」腕がつりそうだった。
2階にモザイク画が間近に見られるギャラリーがあるが、なんと、別料金で、更に1500万TL払うという。おうさる、あおきの両氏は「行かなーい」といったが、折角来たのだからと思い、わしとつ氏は行くことに。
煉瓦と石を積み上げたつづら折りのスロープを登り、2階部に出た。最初、パネルで壁画の様子が掲げてあるだけかと思いきや、ありましたよ、ちゃんと、オリジナルのモザイクが!!聖母子と時のビサンチン皇帝・皇后・皇子を描いたものが多く、如何に当時のビザンチン皇帝がキリストの威光に基づくものであるかを、天下に知らしめる意図を持って書かれたかがよくわかる。もう、じっくり見ちゃったかんねー。ふんとに。窓から外を見れば、マルマラ海が。いやー、世界遺産の町、イスタンブールは最高やねー。〜ディナーとラクにもう、満足〜
ホテルに一旦戻って小休止の後、20:00頃にケナンさんの薦める近くのトルコ料理店「ハタイ」で夕食をすることに。後でセルチュクさんも他のツアー客を連れて合流するという。
料理の詳細はおうさる氏のドネラーページに譲るとするが、メゼ(前菜。ペースト状のものが多い)をパンにつけて喰らい、チョルバス(スープ)、ケバブ(肉料理)…何もかんも、もうんんんまいいいい・。最初でこそエフェスビールだったが、酒好きなケナンさんに乗せられて、ラク(トルコの蒸留酒。水で割ると白く濁る)をガンガン呑み出す。
そのうちに、セルチュクさんも10名位の日本人観光客を連れて、合流。既にケナンさん始め我々一同は目が赤いし、セルチュクさんも呑み出して、「ラクを呑んで楽になろう」と、ギャグ炸裂(このギャグは酒宴の時毎回のように出た)。夜中0:00過ぎまで、デナー&酒宴は続いた。かくてイスタンブール初日の夜は更けぬ…。さあ、2日目は遂にトプカプ宮殿に突入だあああー。オスマン軍楽隊との共演(?)もあり。さあ、次回の☆の世界トピックスをまだかまだかとお待ちの皆様、もう暫くお待ち下さいまし。皆様をハーレムへ、いざ、いざなわんんんん〜
第17回〜☆inトゥルキイェ(C☆)その2:はるばる来たぜイスタンブール(byサブちゃん)〜
ども。あなたの☆でやんす。前回の書き込みから早1か月半。先月中は休日も公演目白押しだったため何もできず、漸く続きを書ける状態にまで落ち着きました。
あ、ちなみに、KUCLの皆様、そして、special thanks to 大阪外国語大学OBグリークラブの皆様、11/30のジョイントコンサートでは大変お世話になり、大変有難うございました。そして、・すと臨画ー(ハートストリンガー)の皆様、どうもお疲れ様でした。
この間、「☆、早く続きを書いてくれー」とうれしい苦情が殺到!!誠にお待たせして申し訳ございませんでした。それでは、一気呵成に初日の様子をば、書いて、書いて、書きまくってやるううううううっ!!!〜手厚い歓迎を受ける〜
イスタンブールの空港は、正式にはアタチュルク国際空港という。名前からしてすごい。先にトルコ入りしていたさいとうさんと、今回現地でのツアーを周旋してくれたセルチュクさん(40歳、見かけより若い)のお迎えを受ける。流石、日本でドネルを売っていた経歴の持ち主だけあって、日本語が流暢である。しかもギャグ(オヤジ風)も多い。
送迎の車で、一路イスタンブールの旧市街に向かう。右手にマルマラ海、左手にビザンチン時代のものと思われる城壁を見ながら、およそ30分ほどの広くて美しい道を驀進。途中でかい交差点で通勤ラッシュに遭ったりもするが、おおむね順調だった。通勤ラッシュで、「あ、そう言えば今日は平日なんだ」と認識する。そうこう(走行)するうちに、モスクのそばを車はすり抜けて行く。セルチュクさんから「あれが、ブルーモスク、あれがアヤソフィア」と説明を受ける。おお、これが!!!高校の教科書でしか見なかった、有名寺院群!!!朝の光に照らされ、後光を放っていた。美しい。それらを取り巻く町並、石畳、瀟洒な建物…全く初めての世界である。石畳を縫ってトラム(市電)が走っているのも、心憎い。
そのど真ん中にある、シルケジと呼ばれる地区の一角に、セルチュクさんのオフィスがあった。1階が陶磁器店、2階が絨毯屋(実はここも彼の店)の入っている小さいビルの4階がそのツアー会社である。我々一行は、早速中に入ると、いきなり犬(ダルメシアン)の歓迎を受けた。犬はメスで、名はコンテスという。大勢朝からやって来たので、興奮気味だった。やんちゃなコンテスにセルチュクさんが注意すると、彼女は書棚の下に自らの体を収納し、おとなしくなった。
そして、チャイ(トルコ紅茶)と軽食(パイ生地にお焼きの具が入ったような惣菜パン)のおもてなしを受けた。20時間以上の機内食漬けだった我が身にとっては、何とも美味であった。ああ、んまい。もっとんまいものがこの先待ち受けているかと思うと、はるばる来た甲斐があった。それにしても、ビルの4階から見る街の風景。先ほどのブルーモスクの頭と尖塔(ミナレット)を望むことができる。綺麗な色に塗装されたホテル、ビル、商店などが街の雰囲気に実に良くマッチしている。ここでは、ビルもさほど高層なものはなく、4〜6階位がせいぜいである。もっとも、先ほどの寺院群(世界遺産である)を抱えているため、建築規制もあるのだろう。あるいは、後述するが、坂の多い街であるため、大掛かりな工事もしにくそうだし、それより何と言っても、既にできたバザールや商店ビル等に手を加えること自体、考えられないというような雰囲気すら感じられる。我が国のように、日本橋の上に高速道路を架けたり、浜離宮のすぐ裏手にガンガン高層ビル群をおっ建てたりという感覚は、トルコ人にはとても理解できないだろう(目を回すかも。もっともトルコ人に限らないか)。
〜飯食って市内観光に〜
セルチュクさんにお願いして、当座必要な分を現地通貨のトルコリラに両替えしてもらった。何でも、市内の両替所では日本円をいきなりトルコリラに替えてくれるとのこと。旅行ガイドブックで米ドル表示になっていたのと、米ドルが一番通用すると書いてあったため、日本を発つ前に慌てて米ドルに替えて行ったのだが、その必要はまるでなかったことがわかった
(何か損した気持ち)。
トルコはインフレが激しいという予備知識はあったが、それにしても、どうなってんだ、この国の経済は。セルチュクさんから渡されたのは、100万、500万、1000万、そして最高額の2000万トルコリラ(以下TLと略す)札の束であった!!!何でも、この当時で1円=約1.3万TLというレートだったらしく、2000万TLといっても、約1500円位であった…。
昼前に、すぐ隣の「アミソスホテル」という所にチェックインした。窓のすぐ真下にトラムが走っている。
大荷物をホテルの部屋に置いて、セルチュクさんの案内で総勢6人位で近くのロカンタ(大衆食堂)にて昼飯を食うことになった。裏手の道の商店街の真ん中位にあり、好きなものをチョイスするシステムだ。店内は狭いので、道の真ん中まで迫り出したオープンテーブルで食事する(日本だったらすぐ道路法等違反で問っちめられるような状態で)。なかなかいい雰囲気だ。そして飯が、ああ、んめええっ!!肉が羊(鶏もあり)!!パン(ピタパンではなく、フランスパンが主流)は食い放題だし、何しろ安い。ただこの場は、セルチュクさんがおごってくれた。ああ、ありがとうごぜえますだ(感動の涙)。腹ごなしに近所の市内観光に連れて行ってもらった。食堂の通りをずーっと進んで行くと、郵便局、両替所を中心とした繁華街に出る。人通りがやたら多くなり、物を売る声が喧しく(必死そう)、あちこちにこだましている。その奥に、大きなドーム状のアーケードに覆われた、エジプシャン・バザールに入る。
これは、有名なグラン・バザールとは別物で、17世紀半ばにオスマン朝が、エジプト交易で発生した税金を財源として、
モスクの付属建物の一部を改装して建てられたという。色々なものが売っている。トルコサッカーチームのシャツ、ベリーダンスの衣装、陶磁器、貴金属…一行は、セルチュクさんと懇意らしい、香辛料等を扱う店に案内された。
うーん、スパイスの山、山、山…、そしてあちらのお菓子や、チャイの葉を、量り売りで売っていた。今日はともかくとして、帰る前に土産を買う候補店にしようと考えていたところ、お店の方から、チャイのサービス。お菓子の試食、そして、何やら黄色い塊をナイフで削って、中身の褐色の小片を召し上がれという。んんん、唐墨だああああ!!!日本のより塩気がきついけど、紛れもなく唐墨だ。あー、酒(日本酒)が欲しいいいい!!!何でも、黄色い色は、保存のためロウをコーティングしてあるという。それにしても、唐墨1個分の卵巣の一塊が、やたらでかい。となると、どんな大きな魚なんだろうか。いやー、帰りの土産は、まずここに決定。エジプシャン・バザールを抜けると、ガラタ橋という橋のたもとに出る。橋から隣接するエミノニュの船着場に至るこの付近も出店が多く(ドネル屋もさることながら特にサバサンド屋。「サバサンド、サバサンド」と、日本語でやたら呼びかけて来る)、人通りがとても多い。目の前が、おお、海峡だああああっ!!!…と思いきや、このガラタ橋が架かっている広い水路は、金角湾という入江であって、その右手に見えるだだっ広い水路が、かの有名なボスポラス海峡だという。ということは、今我々のいる側(旧市街)と、ガラタ橋の向こう(新市街)は、皆ヨーロッパで、あの右手の海峡に霞んで見える大きな橋(ボスポラス大橋)の更に右手の陸地が、アジア…おおおおおー、認識。頭ん中で地図を旅行ガイドからインプットしていても、やっぱり現地を見て照合しないとだめだんべえ(完全にお登りさん状態)。
エミノニュの船着場をそぞろ歩き、右手に大きな煉瓦造りの駅がある。シルケジ駅といって、かつてパリから運行していた、オリエント急行の終着駅である。今でも、近距離の通勤列車と共に、ギリシャ、ブルガリア、ルーマニアなどへ行く国際列車も走っている。少し暑い中を歩いて来たため、駅舎に入るとひんやり涼しい。プラットホームの手前に、またしてもケマル・アタチュルクの大きな顔が、金色に輝いていた。駅舎の脇のキオスクの隣には、やはりドネル屋が…。
この後、一旦セルチュクさんのオフィスに戻り、いよいよブルーモスクとアヤソフィアを見に行くのだが、長くなったので、一旦締めます。その前に…。
ミニコラム:トルコで☆も考へた(その1)
〜ここで突然ケマル・アタチュルク考〜
それにしても、ケマルさんは、トルコの人々にとって特別な存在ということがよくわかる。私が最初に降り立った空港からして、まず彼の名前を冠しているし、セルチュクさんのオフィスにも大きな肖像画があるし、街のあちこちに肖像画や銅像を見ることが出来る。また、イスタンブールに限らず、トルコの主な都市には、必ずと言っていいほど、「アタチュルク通り」というメインもしくは準メインストリートがある。そして何と言っても、通貨(特に紙幣)は全種類彼の肖像が載っている。
日本だと強いて挙げれば何だろう。天皇やお札に載った人を基準として考えればいいのだろうか?「明治通り」「昭和通り」「昭和記念公園」は公の施設としてあるが、「慶応義塾」「明治大学」は私立の学校だし、「夏目坂」は新宿区内に存在するがメジャーじゃないし、「関西聖徳太子国際空港」というのはないし、「成田新渡戸国際空港」というのは「なんじゃあ、そりゃあ」ちゅうことになるし、あ、もっとも成田は千葉だから、千葉出身で一番偉い人…「長嶋茂雄いわゆる一つの国際空港」…もう、わけわからん。日本にはそういう特別な存在というのはあるんだろうか?トルコの人にはケマルさんがいてうらやましくさえ思う。何しろ上からではなく、国民と共に自らの手で自由と独立を勝ち取ったのだから。精神的な支えとしては最も強烈な存在であることには違いないだろう。当然学校教育でも徹底して教え込まれているのだろう。そんじゃまた、次回はトルコの世界遺産へ、いざ、いざなわんんんん〜
第16回〜☆inトゥルキイェ(C☆)?イスタンブールへの道〜
こんちはああああ、あなたの☆でえええす。え、いつもとキャラが違うって?それは気のせいでやんす。
遂に行って来ました、憧れの地、トゥルキイェ(C☆)!!!!。帰国してから早3週間が経ってしまい、やっと撮りまくった写真(36枚フィルム×12本分)の整理も付きやした。記憶の薄れぬうちにと思い、今回からシリーズでイスタンブール滞在記を順次書きまくって参ります。多分、年内には終わるかな???〜成田→台北→シンガボール〜
9:30成田発のシンガポール航空機に乗るために、6:00頃品川発のJRの快速に乗らねばならず、もう、眠い。とりあえず、寝坊しなくて良かった…(安堵)。7:30過ぎに成田空港に着き、チェックインと買い損ねた携行品を調達し、機内に乗り込む。定刻どおり出航し、しばらくは寝られるかと思いきや、食事だのなんだので、あまり眠れなんだ。
現地時間11:30位に台北に着く。経由地なのに、機内整備とか規則とかで一旦全員降ろされる。1時間弱待ち。出発/到着表示が、当然のことながら全部漢字であった。シンガポール=「新加坡」、マニラ=「馬尼羅」、ニューヨーク=「紐育」…台北の中正国際空港は、売店が充実していたが、いきなりここで金を使うのも何だと思い、軽く飯(麺類)を食おうとした。だが、値段表示が全てニュー台湾ドル(NT$)だったので、米ドルしか持っていないわしは、ここでも断念した。もっとも、空港内だったら米ドルでも通用しそうな気がするが。
せめて空港内の様子を写真に撮ろうと、フラッシュを焚いたら、「No flash」と空港職員の人に注意されてしまった。再度搭乗時刻となり、元のエコノミークラス=「経済艘」(まんま訳し過ぎ。ちなみにファーストクラス=「頭等艘」)の席に乗り込み、現地時間13:00位に再び台北を発ち、シンガポールへ向かう。
成田からの、大多数が日本人だった客層とは微妙に異なり、台北からは、顔はほとんど一緒なのに、言葉だけが中国語(台湾語)の人の比率が増えてきた。しかも、大声で早口、相手の喋っている言葉に被さるようにして応答する人が多いから、一発で区別がつく。
ただ、私のいた席は、窓から3番目の通路側で、窓側の2人は、新婚旅行と思われる日本人カップルだった。台北で一旦降りてまた乗って同じ顔合わせになった時、あちらの彼が何となく「またかよ、チッ」と言わんばかりの顔をしていたように見えたのは、気のせいだろうか…。
シンガポール航空の機内には、各座席にTVモニターが標準装備されており、映画やニュース、ゲームなどが楽しめるが、私は航行路の表示だけを画面に出し(今どの辺を飛んでいるかがいつでもわかるように)、持参のCDを聴きながら機内の時間を過ごした。〜シンガポールで合流〜
現地時間17:00頃、シンガポールのチャンギ国際空港に到着。ここで私は、先発隊のおうさる氏一行から、「乗り換えまで5時間位あるから、一旦入国して一緒に飯でも食いましょう」との指令を受けていた。到着前に機内でシンガポールの入国カードをもらい、書き込もうとすると、いきなりカードに赤字で、「麻薬の持ち込み、法律により死刑」と書いてある。別にそんなもの持ってるわけでなくても、何故かビビってしまった。
入国して空港の横長の出口を1往復したところで、おうさる、あおき、つの3氏とようやく合流。3氏は昨日からシンガポール入りしていて、1泊していた。
空港から地下鉄に乗り、Bugis(ブギス)という繁華街で降りる。公共施設には必ず英語・中国語(漢字)が併記されており、Bugis=「武吉士」だった(読みが似てるので、ぶし君のために写真撮っときました)。それにしても、法治国家!車内外に「車内での飲食、罰金何ドル。喫煙、罰金何ドル。ゴミ捨て、罰金何ドル…」という表示がやたら目につく。武吉士駅の上は何故か「西友」だった。といっても、日本にあるスーパーマーケットというイメージではなく、完全にデパートであった。
地上に出ると、ベターアアアアアッと、顔、首筋を油で塗りたくられるような蒸し暑さ。もっとも、夕方だったため、先発隊の3人に言わせれば、この位はまだマシだと言われてしまった。彼らは既にわしより過酷な暑さを体験し、汗ダラダラのようだった。流石赤道に近い街、年平均気温30前後の国である。
彼らの宿舎に併設してある中華料理店で夕食をとる。前菜や、蒸し鶏系の他に、トルコに行ったら豚肉が食えなくなるから、今のうち食っておこうと、確か酢豚のようなものを食った。んまかった。あと、例の「西友」でココナッツミルク仕立ての麺を1杯だけ頼み、3〜4人で回し食いした。これも意外にんまかった。TRKのわしら3人もさることながら、ERK(「エスニック料理の会」ってこれでいいのかな?勝手に略しました)のあおきさんは殊の他興味をそそられ、ご満悦のようであった。
そうこうするうちに、わしらは元の地下鉄に乗り、チャンギ空港に戻った。そういえば、折角シンガポールに来たのだから、本場の「シンガポールスリング」を飲まなければ…先発隊3人は昨晩既に飲んだらしい…登場待ちの間、空港内を調達やらなにやらでウロウロしているうちにバーを見っけ、一人それをオーダーして(値段はシンガポールドル表示だったが、米ドルでも)飲むことが出来た。グレープフルーツジュースの味が前面に出た味で、それにアルコール分がいくらか入っているような感じであった。まあ、うまいっちゃあ、うまいといったところか。それにしても、妙齢の男子が一人シンガポールスリングを飲む姿…。〜シンガポール→ドバイ→イスタンブール〜
現地時間23:00過ぎにシンガポールを発ち、ドバイへ向かう。客層が打って変わって、ヨーロッパ系、アラブ系の顔立ちの人が多数派を占めた。当然日本語の通じる乗務員は皆無である。ここは一番長い航路であった。集中して眠れるかと思ったが、またしても食事攻勢で、正味眠れたのは2〜3時間位であったろうか。
そういえば、機内の食事がだんだんあちら向きに変わっていくのがわかる。シンガポールまでは日本のレストランで出てくる「洋食」風だったのが、中華風になり、エスニック風になり、終いには羊肉が出てくる。機内メニューを始め、ミネラルヲーターやジャム、砂糖・塩のパックの表記が日本語→中国語→アラビア語になっている。どんどん違う世界に移動しているのをこんな所からうっすらと実感していた。
ドバイでも、規則(機内整備等)により起こされ、降ろされた。なんと現地時間で夜中の3:00頃である。小1時間の小休止だけでは、ドバイで何をすることも出来ず、空港内を暫く一行でうろついていた。空港内の売店で売っていた絵葉書等でわかったことなのだが、実はドバイ市内や近郊には、ショッピングセンターやアミューズメントパーク、美しい海岸のリゾート地まであるとのことだ。日本で「ドバイに行く」と言ったら、商用か、競馬の「ドバイ・ワールドカップ」を見に行く(出稼ぎに行く)位しかイメージがなく、国内でも観光の触れ込みが他の国と比べればあまりされていないため、私にとっては意外な発見であった。
また機内に乗り込んで、いよいよ目的地のイスタンブールへ行くのみだああッと、乗った瞬間に流石に眠い。だが、不安が一つ。ドバイを出た後の航路図は、イラク上空を点線が走っていて、「これぢゃあ、定君に撃墜されちまうのでは」と心配だった。だが、それはチャーンと考えてくれていた。わしの乗った機は、イラクを避け、サウジ、シリア上空を迂回してくれていた。最も、譲二君が定君にこの旅行中ケンカを仕掛けようものなら、この迂回ルートだって決して安全ではない。とりあえず祈る、グッとこらえてくれよ、譲二君。
機外にうっすらと、漆黒の闇から紫色に、ようよう白くなり行く雲際。少し明かりて、紫立ちたる雲の、オレンジ色に棚引きたる。航路図を見れば、我が機は既に地中海、キプロス島から、アナトリア即ちトルコ上空に差し掛かった。眩しい朝の光が、われら一行を笑顔で歓迎してくれているようだ。ここでまた、エキメッキ(パン)の軽食が入る。myBGMを「オスマン軍楽隊」 「タルカン」にし、トルコ入国の心の準備を万全にす。
そうこうするうちに、イスタンブールに遂に着陸する。
着いた、着いた!!時に現地時間朝7:00過ぎ。タラップを降りると、シンガポールの時とは違った、爽やかな朝の涼しい風がわが身を包み込む。空港にはわしらが乗れなかったトルコ航空機が多数駐機していた。そして私は、生まれて初めて、ヨーロッパに、しかもアジアとの境目にある、東西の十字路、トルコ・イスタンブールに、とうとう、その一歩を記したのであった。実に移動28時間(機内正味17〜18時間位)!!トルコへの旅は1日にしてならず。思えば遠くへ来たもんだ。訳わからん万感の思いで、わしの心は満たされていた。はい、皆さん、やっとトルコに☆が着きましたね。では今回はこれ位にしといて、サイナラ×3乗。次回の、イスタンブール初日の模様へ、いざ、いざなわんんんん〜
第15回〜また会う日まで・テーハミング〜
ども。あなたの☆です。今宵は、イスタンブールに旅立つ前夜。その前に、ソウル旅行記を一気に完成します。〜韓国居酒屋で最後の夜〜
宮殿めぐりを終えた私は、ルームメイト他同僚と総勢8名ほどで、明洞の韓国風居酒屋で夕餉を取ることに。店内は、昔懐かしい、学生時代に良く使った小汚い飲み屋風(例えば、中目黒の某「○樽」)の内装だった。めいめい好きな物を頼んだ。まず、誰かが頼んだか知らんが、生ダコ(ショスタコではない)の活き造りが出てきた。足が、切った後もウヨウヨ蠢いていたが、そこをすかさず食らう。良い塩加減で美味かったが、舌に吸盤が執拗にひっぱりつく。わしはサムゲタンを頼んだ。丸鶏に餅米や高麗人参、松の実や色々な具を入れて煮込んだもので、是非韓国に行ったら食いたいと思っていたものだ。まあまあ美味かったが、味が薄いようにも思ったので、少し塩が欲しいところであった。マッコリも注文したかったが、希望者はわしだけで、泥酔するのでだめだと、訳わからん理由をつけられ、飲めなかった。もっとも、帰りにまたミニストップでワールドカップのマッコリペットボトルと、紙パックの少し質の良さそうなマッコリを買って、結局ホテルで、ルームメイト、同僚達と飲み明かした。予想通り、紙パックのマッコリが味が比較的濃くて、わし好みであった。〜遂に帰国日を迎える〜
朝は9:00頃に起き、洋食の朝食をホテルで取った後、また仮眠。そうするうちに、正午近くのチェックアウトとなり、荷物をロビーに出した後、ボスの先導で焼き肉の食い納めとなった。やはり近所の明洞の焼肉屋に入り、骨付きカルビの他、プルコギを頼むことにした。昨日のプルコギバーガーの、固形の肉+上に野菜炒めが乗っかっているというイメージがあったが、実際出てきたのは、ジンギスカン鍋のようなものにスキヤキをするというものであった。味付けは甘みがあり、辛いものではなかった。んまい。もし、ちゃんと本物を食わなかったら、当分私の中にはプルコギバーガーのイメージが固定されていたことだろう。近くのロッテデパートの地下食料品売場等で土産を買った後、バスに乗って、仁川空港へ、と思いきや、途中、キムチ専門店にバスは立ち寄った。しかし、さっきのロッテでパートでもそうだったのだが、韓国の人は総じて商売熱心だと、つくづく思う。気がついたら、キムチ1パックと、イカのキムチ・たらこのキムチ(「明太子」と書いてあったが、全く製法も味も異質のものだった。)・チャンジャ(たらか何かの内臓をキムチにしたもの)の3点セットを買ってしまった。バスは一路、仁川空港へ向かった。真新しい高速道路には、どこまでも切れ目なくW杯の幟がかかっていた。W杯へ向けての大いなる意気込み、これをテコに、大いなる発展を遂げようとしている、大韓民国(テーハミング)。開催国同士、隣国同士にありながら、あちらは上り調子の勢いを感じ、こちらは底の見えない下り調子の、対照的な様を見せつけられた感がある。何しろ、旅して思ったが、韓国は物価が安くていい(というよりは東京が高いのだとも思うけど)。1年の半分をソウル、もう半分を東京で暮らすのも悪くないような気がした(?)。
さようなら、テーハミング。今度はハングルをもう少し勉強して行こう(チョナンカンを見て)。また会う日まで、オオ、ソウル、コリアへ、我が身はまた、いざ、いざなわれんんんん〜(完)
【!!!!!!緊急予告!!!!!!】
!!!☆INトゥルキイェ(C☆)!!!あなたの☆が、アジアとヨーロッパの狭間、東西の交通・文明の十字路であるトルコに、遂に上陸!!!イルハン、タルカンとの3大☆夢の饗宴もあるかも????次回の「誰も知らない☆の世界トピックス」から目が離せないいいいいいいいい!!!!!!
第14回〜初めてのカムサハムニダ〜
ども。あなたの☆です。大変ご無沙汰して、寂しい思いをさせましたね。ぎゅう(抱擁の音)。仕事に埋もれていたり、毎週の花火に狂っていた夏も暦の上では一応終わりやしたが、わしはこれから夏休み。TRKの皆様と9/16〜9/23でイスタンブールに行ってきます(もっとも正味あちらにいるのは9/17〜9/22の5泊で、後は機内ですが)。そう!トルコに発つ前にやっておかねばならぬことが!そう、ソウルのぶらり宮殿めぐりの旅を完成していませんでした。てな訳で、今日はVirgin mega store(新宿)内のカフェからたっぷりお届け致します。〜地下鉄に乗って、まずは昌徳宮へ〜
ホテルでルームメイトと朝食を取った。なぜか和食レストランにメイトが入る。もっとも、朝から焼肉は食えんわな。飯を済ませ、ひとりで宮殿めぐりに出発する。ホテルは前述のとおり、明洞の南端にあった。そこから北上し、明洞の中程にあるVISAカードのセンターで「コリアパスカード」というプリペイドカードを買う。これでチャージした分の買い物が出来たり、電話をかけたり、地下鉄やバスに乗ることができ、色々な割引特典がある、便利なカードである。日本で最も近いイメージでいえば、suikaカードにデビットカードが合体したようなものだろうか。私は地下鉄での移動の便が足りれば良かったので、一番安い5万ウォン(=5,000円)分のカードを発行してもらった。近くの乙支路1街から地下鉄2号線に乗り、1つ先の乙支路3街で3号線に乗り換え、安国という駅で降りた。現代(ヒュンダイ)グループのビルを左に見て東へ5分ほど歩いて行くと、最初の目的地、昌徳宮(チャンドックン)に着いた。昔からの伝統なのか、正門(敦化門)前には伝統的なコスチュームの衛兵2人が、顔の表情を全く変えることなく、石像のように身じろぎもせず門番をしていた。入園時刻は各国語毎に決まっていて、ガイドと一緒に決められたコースを1時間半位かけて回ることになっている。当然のことながら、韓国語ガイドによる入園時間が最も多い。韓国内の地方から来た家族連れや、カップル(新婚旅行?)が多かった。1時間位近所を散歩したりなどして待って、日本語ガイドによる宮殿めぐりが始まった。入ってすぐに分かったことだが、この宮殿、ユネスコの世界遺産に指定されている(石碑が建っていた)。また、つい10年位前まで王族が実際に使用、居住していたという。集団行動しなければならぬのも道理である。しかし、とにかく敷地が広い、宮殿の1つ1つがでかい、それでまた日本の伝統的建造物と違って、極彩色!!ガイドの説明に頷かされることもしばしば。王様が普段寝起きする御座所には青い瓦が葺かれている。この伝統は現在も大統領府:即ち「青瓦台」に受け継がれている。宮殿によっては、極彩色だったり、色を付けてない宮殿もあったりする。色付きの宮殿は王様とその正室親子用で、色のついてないものは側室とその子供用というように、区別されていたとのこと。各宮殿には必ず「オンドル」と呼ばれる暖房装置があり、床下に炭を入れて暖めるための入口が脇に必ず見られる。そして、屋根から排気する仕組になっている。私が行ったのは4月の中旬だったので、桃は散り、ツツジはまだこれからという、何とも中途半端な花の時期だった。その代わり、ピンク色したレンギョウのような花がこぼれるように咲いていたのが一際目立っていた。宮殿の庭園では小鳥が春を謳歌しているような明るい囀りが聴こえる。巡って行くうちに、少し質素な佇まいの宮殿に着いた。ここが先に述べた、10数年前まで王族の人達が住んでいたという楽善斎(ナクソンジェ)である。ここは、日本の皇族である梨本宮家から、当時の日本政府の国策により朝鮮最後の王様(性格にいうと、最後の2代は「皇帝」と呼ばれていた)に嫁いだ、英王妃こと李方子(イ・パンジャ)さんも住んでいた。日韓併合前から韓国にやってきて、異国の王宮での暮らしに戸惑いながらも、太平洋戦争、朝鮮戦争という二つの大きな動乱を経て、晩年は韓国内での福祉活動に生涯を捧げたという。高校の頃、李方子さんの伝記を読んだことがある私にとっては、感慨とか、そういうあり来たりな言葉では済まされない思いに満たされた。1時間半のツアーを終えて元の敦化門に戻ると、丁度衛兵の交代式をやっていた。30〜40人ほどの、赤・青・黄の伝統的な衣装を着た人達が、鐘や太鼓や笛を鳴らしながら、当時さながらの壮麗な隊列行進を行っていた。
〜昌慶宮は素敵なお庭〜
昌慶宮(チャンギョングン)は昌徳宮に隣接した所にある。といっても、塀伝いに歩いて15分位はかかる。ここも宮殿の建物は数々あるが、どちらかといえば庭園の広さと美しさが印象に残る。先程の昌徳宮と違い、700ウォン(=70円)の入場料を払えば、ガイドなしで誰でも自由にいつでも入れる。ソウル市民の憩いの場となっているようで、奥にある大きな池の周りには、老若男女が多数くつろいでいた。桜もあった。微妙な散り具合でその花盛りを終えようとしていた。一際目立ったのは、大きなガラス張りの温室であった。ベルギーのラーケン温室にはとても及ばないが、宮殿の形をしている。朝鮮王宮古来の形に、洋風の意匠を取り混ぜているのが面白い。最後の王様が作らせたらしい。歴代の王朝では、温室の他に、日時計や天文台なども王宮内に作っていた。科学的な嗜好というか、造詣が深かったようだ。中に入ると、暑い(当たり前だが)。大小様々の蘭の花やツツジ、自生の植物や樹木が中心となっている。昌慶宮から南の道路を跨ぐ歩道橋で繋がっている、宗廟(李氏朝鮮歴代国王と正室の霊を祀った廟)に入る。大きな一帯の森になっており、15分位歩くと、宗廟正殿に着く。19代もの国王夫妻の祀られている建物は、壮大なスケールである。宗廟を出ると、鍾路(ジョンノ)という大通りにつながる広場に出た。人々がなぜか多数集まっており、何かのデモをしている人や、青空書道展を開いている人々、日本でいう将棋や碁のようなゲームをしているおじさん達とそれを取り巻くギャラリー、少し高い舞台のあるスペースでは、白装束に白い鉢巻きをして薄化粧の男性が、独特の恨み節にも似た旋律に乗せて踊っていた。鍾路を地下鉄の駅に向かって行く途中は、人の波でやたらごった返していて、道沿いに食べ物ではなく、日用雑貨などの物品をやたら売っている露天商が限りなく続いていた。東京でいえば上野のような雰囲気の通りだった。〜プルコギバーガーと徳寿宮〜
鍾路3街駅から地下鉄1号線に乗り、市庁駅に出た。地上に上がると、いきなり巨大なサッカーボールとソウル市庁舎がお出迎えである。そう、この時は全く想像だにしなかったのだが、こここそが、あのW杯の時、何百万人の赤い人たち(テーハミンガー)で埋まった広場であった。昼飯も食わずにあちこち歩き回り、16:00を回っていて、いい加減腹が減って来た。どっか食う店はないかと見回したが、ケンタッキーは一杯で、すぐ近くにロッテリアがあったので、入った。当然といえば当然だが、日本のとメニューが違う。キムチバーガーやプルコギバーガーなるものがあった。高校生のアルバイトらしき店員に「プルコギバーガーのセットに、コーラを付けて下さい」という意思表示をしたつもりが、韓国語で聞き返す。こっちは分からないので、もう一度、メニューを指差して改めて意思表示をする。訝し気な表情をしながらもやっと分かってくれたようだが、しばらく待って出て来たのは、プルコギバーガーとポテトとコーラが2つであった。どうやら彼は、セットにコーラが付いているのに、もう1つコーラをご注文ですか、と思って聞き返したのだろう。空腹を凌いで、徳寿宮に入る。先の2つの宮殿よりは規模が小さいが、手前は旧来の造りの宮殿が何棟かあるが、奥には西洋式庭園と2棟の石造りの洋館が建っている。そこにも入りたかったが、一足先に閉館時間になっていた。ゆっくり、残りの宮殿を見て回る。 3宮殿を見て回って18:00前になっていたが、ホテルに帰る前にW杯スタジアムを見て回りたくなり、日の暮れぬうちにと、市庁駅からまた地下鉄に乗った。2号線を合井(ハップジョン:くしゃみのような地名だ)で新車の6号線に乗り換え、3つ目がW杯スタジアム駅。駅前がいきなりスタジアム(サッカー場)である。ああ、ここでこれから凄い試合が行なわれるのだな、との思いを馳せる(当時)。スタジアムの周りは如何にもニュータウンといった感じで、真新しい団地が何10棟も林立していた。この光景を眺めているうちに、空は次第に暮れ泥む。そろそろホテルに帰って、ルームメイトと夕食でも食うかと、スタジアムを後に、地下鉄に乗り込んだ。さあ、これで終わりと思ったら大間違い!!次回はソウルの晩と帰国日の様子をお届けしよう。ではまた☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第13回〜へへっ、もう真っ白になっちまったぜ〜
ども。あなたの☆です。最近、自動的にスコアールの団員になってしまっていて、自動的に「復活」の楽譜が送られてきて、自動的に新宿混声向けのスコ団員募集窓口になってしまっている今日この頃であります(何も意思表示はしてないんすけど…)。住所、?などの基本データはあちらにもう送らなくていいんすかね、塩須田さん。取りあえず、11/17(日)本番ということだけは一応留めておきますけど。ああああーっ、鬼のように忙しいいいいいいー、11月は!!
※(ちゅうー)本日アップ予定だった「初めてのカムサハムニダ」は日を改めさせて頂きます。〜新宿混声、有事終わりました〜
去る6/2(日)の新宿混声の定演にお越しくださった皆様、誠に有難うございました。特に挟み込みにお越し下さった、塩須田さん、うっくまんさん、当日は何かと取り紛れて行き届かぬ点が多々ありましたことをお詫び申し上げます。それにしても、ショックだったのは、前日クリーニングから帰ってきたステージ衣裳(礼服)のスラックスの裾が異常に縮んで、すね丸出し状態になっていたことだった。出来るだけ腰ではき、前列から後列へ立ち位置を急遽変更してもらった。が、結局後列の一番端、ということは、各ステージの一番最初に舞台に上がり、一番最後にはけるということなのだから、どう転んでも目立ってしょうがない。
これもまあ、☆たる者の宿命か。アンコールでは思わず涙した。
(って、それが原因かよ。他にも思うことは色々ござんしたが。)それにしても、紀尾井ホール。お風呂のようだった。ただでさえエレクトーンと合唱がバリバリなるというのに、聴き手の皆様からすると、さぞやかましかったのでは?もっとp、ppをちゃんとできるといいのだが(と言い続けて10数年)…。
1ステのブラームスは最悪だった。ピッチが狂いまくり、どこに合わせて歌っていいやら…アカペラをちゃんと歌えない合唱団ってのは問題だねー。
2ステのふるさとの四季はもっと各曲毎の主張、コントラストがつくと良かったねー。何か、ツーっと、通過しちまった感じ。
3ステのレクイエム(デュリュフレ)は、とにかく足が痛かった。40分ものの曲はあまりやったことがなかったから。でも、隣りの団員A場氏と一緒に吠えまくってたから(やめなさいっての)、すっとした。ただ、キャパは新宿混声の営業能力からすると丁度良い(7割位の入りだった)。いつもの新宿文化センター大ホール(1800人)に600人位のカスカスの状況よりは、歌い甲斐大いにあり。もっとも貧乏合唱団ゆえ、毎年は無理で、当分使うこともないだらう…。
今度取れたら、代々木OCのカルチャー棟大ホールでやってみたい。安そうだし。キャパも同じ位なので。
それにしても、本番って、日曜ばっかりだよねー、どこでも。次の日仕事する気ないほど、疲労困憊する。もっとも今回は月曜有休取って休んだけど。
てなわけで、今回は演奏会の感想のみを特集致しました。これに懲りずに、また不運にもおいで頂けなかった皆様にも、また来年よろしくお願い申し上げます。
それにしても、これから暮れまで忙しくなりそうだ。またこれからも☆の活躍に乞うご期待。そして次回もまた☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第12回〜はじめてのアンニョンハセヨ(後編)〜
ども。あなたの☆です。GW中は蓄積した疲労により心身ともにホドケきってしまい、なーにもせなんだ。休み明けは千葉の父方の祖母が99歳で急死し、葬儀を終えて帰京し、そのまま大崎のキンコにて入力す。
それにしても、うっくまんさん、爆笑です。まさかそんな所でOB会があったとは…。(前回からの続きです)
〜もう、商売上手なんだから、韓国の人って、ウフン〜
景福宮を後にした我々一行がバスに乗り込むと、いきなり激しい雷雨に見舞われた。そんな中を10分間走行後、ソウルの中心部のとある免税店にバスが着く。4名ほどの男子店員がバスの降り口で恭しく傘を差しかけ、店の入口まで案内してくれた。店内は様々なブランド物(たとへば、ぞうぷぷ家御用達の「レーヴェ」など)で占められていたが、そんなのに興味のないわしはそれに目もくれず、土産調査のため、酒と食い物のコーナーを物色しようとしたその瞬間!!
「岩のり如何ですか〜」「高麗人参エキス如何ですか〜」など、“みーてーるーだーけー♪”(古い)のわしに女性店員が猛チャージをかけて来るではないか!!極力適当にあしらいつつ、色々見ている私に、横から、背後から、商品の説明を構わず始め、試食を勧める。取り敢えずその免税店では、無難な所で、夜のホテルでの酒のつまみに、岩のりを買うた(多分10,000ウォン=1,000円位の箱に入ったやつ)。しかし、これだけでは済まなかった。
ツアーバスは次に、そこから10分位の南大門(ナンデムン)市場へと向かった。上野のアメ横のようなところで、ここでは、店の人と一瞬目が合っただけで「お兄さん、キムチ、安いよ」などと、流暢な日本語で声を掛けられる。もっとも、10数人でぞろぞろ歩いてたら、観光客以外の何者でもないわな。そりゃ、営業にも熱が入るだろう。
最も強烈だったのは、「高麗人参百貨店」と称した一商店のおじさん。うちのボスが捕まってしまったために、我々一行も入店することに。まず、デカイ袋に入った岩のりセット(20,000ウォン=2,000円)を「お客さん、幾らあってもこれは余ることなく、むしろ足りない位だから是非土産に最適、ご近所、親戚に配ればすぐなくなるから」と売りつける。まあ、この位の値段ならと思い、皆と一緒に買う。一通りのりが売れたところで、“本題の”高麗人参加工品を様々取り出して、これまた面白く、かつ熱心に説明、セールスする。そして「失った健康はお金で買い戻せないが、これは一箱6〜10数万ウォンするけれども、一日にたった100数十円で健康になれる!ユンケルだって1日1本300〜400円でしょう?こんな安い買い物はないよ!!」と、決めゼリフ炸裂す。わしは手が出せなかったが、ボスは何か買ってったようだ。店主のおじさんは韓・日・中様々に使い分けて、24時間営業、実に物凄い百戦錬磨の商人だった。〜カルビ=骨付きカルビ(のようだ)〜
そうこう市内を回っているうちに、焼肉食べ放題の店で夕食を取ることに。座敷に通され、運ばれてきたのは肉をグルグル巻いたカルビ肉の塊であった。巻いたのを展開すると、骨付きであった。炭火コンロにはみ出しそうになったとき、店員さんが大きなハサミでジョキジョキ肉を切りまくる。焼き上がり、サンチュ(サニーレタス)に特製味噌をつけて巻き、食らう。んまいいいい〜!!その繰り返し。店員さんがほとんどそばにいて、焼いちゃ、切り、食う。わんこそば状態である。2時間位食えるかなと思ったら、1時間も経たぬうちに満腹になる。冷麺も食った。「コリア、回転がいい」とばかりのマネージぶりに、見習うものを得た。もっとも、ツアー向きか、団体客が多い店であった。〜ソウルの夜は更けぬ〜
食事を済ませ、ようやく明洞(ミョンドン)という繁華街の中にある、宿舎の世宗(セジョン)ホテルに到着。部屋に荷物を置き、同室の人と買出しに出かける。すぐ近くにミニストップやセブンイレブンがあった。岩のり以外のつまみと、酒を買うた。ビールも安いが(330ccで日本の缶ジュースくらいの値段)、わしがここに来てぜひ飲みたいと思っていた、マッコリ(濁り酒)が、何と、ワールドカップ記念醸造で、2リットルのジュースのペットボトルみたいのに入って、1,800ウォン=180円!!思わずそのペット2本とビールをしこたま買い込み、部屋の冷蔵庫が満杯に。買ったマッコリは、日本の濁り酒ほど酸味が少なく、発泡はしてない。ほのかな甘味があり、するすると飲み易い。ルームメイトと至福の夜を過ごす。いやー、韓国でなら普通に飲んでも、飲み代がかなりセーブできそうだ。やっと初日の様子まで書けました。次号は「はじめてのカムサハムニダ」と題し、二日目のぶらり宮殿めぐりの旅をお伝えします。
ではまた、☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第11回〜はじめてのアンニョンハセヨ(前編)〜
ども。あなたの☆です。4/12〜14とソウルに営業の一環で(職場主催)行って参りました。無事帰還した翌日、いきなりプサン(釜山)で飛行機墜落。1日間違えたらソウルで足止め食らってたかも。今回は、初めて島以外の外国に行った私だけの韓国金大中、否、珍道中を、チンド(珍島)には行かなかったけれど、多分約2〜3回位に分けてお送りします。(もう、いきなりわけわからん)〜大韓航空機爆睡事件〜
そりゃ、眠いわな。新宿6:04発の成田エクスプレスに乗らねばならぬのだから。当日4:30起きでござる。N'EXでは終点の成田空港駅まで(初めてここまで乗った。今までの洋行時は第2ビル駅で降りていた)目がさえていたのに、機内に乗ったら、もう眠い。ちょっと目を閉じてあっという間に機内食で叩き起こされ、食い終わって少し目を閉じたら、もうソウルだと言う。新幹線で東京から新大阪まで行くくらいの時間(約3時間)だからねー、まあ。〜ソウルは初日は雨だった〜
着いた空港は新しいインチョン(仁川)空港だった。「ソウル=キンポ(金浦)空港」とすり込まされていた私には、いきなりの衝撃であった。アドレナリン、否、侮れん、韓国。如何にも、W杯に合わせて作ったという感じだ。従前のキンポは、国内線専用空港になったという。成田と羽田のような関係のようだ。ソウル市内までチャーターバスで60〜70分とガイドのイ(李)さん(女性、推定30代後半)がいう。東京〜成田ほどではないが、東京〜津田沼乃至は千葉位の距離だろうか。イさんの案内で、終日市内観光をすることになった。
そうこうしているうちに、バスがソウル市内に入ったと思われるが、ガイドブックの地図と照らし合わせても、目標になる物がどれがどれだかさっぱりわからぬ。何しろ、当然のことながらほぼ全ての看板がハングル文字で書かれ、読めぬ。従って、目標物と地図の内容とが一致せぬので、現在位置は全くイさんに頼らざるを得なかった。〜ビビンバ+ビール+強くて冷たい風=尿意〜
まず、軽く昼食を取ろうということとなり、市内のナンサン(南山)公園にあるレストランで石焼ビビンバを皆で食った。んまかった。うちのボスがビールを盛んに薦め、瓶で3〜4本ばかり消費しただろうか(ちなみに中瓶位のサイズ)。思えば、これがツライ思いの始まりだった。
食後、市の中心にある、キョンボックン(景福宮)という、李氏朝鮮時代の王宮を見学した。同様の王宮が、別途述べるように、これと合わせて市内に5つあるという。デカイが、肝心の正殿が大工事中だったので、何か殺風景だった。30〜40分位かけてイさんのガイドで王宮内を回っている最中に、降り出した雨が次第に量を増し、冷たい風がやたら吹き付けるようになった。ここに来て、寒いのと同時に、先のビールの効用で、尿意が次第に高まってきた。寒いだけならまだ何とか我慢のしようがあるが、とにかく早く王宮巡りを終えてトイレに行きたいという欲求で私の頭は満たされた。韓国に来て、ましてやこんな文化財で立ち小便をして恥じさらす訳にも行かず、20分位、さりげなく歩く際に尿意高揚時のモジモジアクションをごまかし続けていた。
ようやっと王宮巡りを終え、観覧入口にあるトイレに駆け込み、はあああああああ〜っと、膀胱満タン地獄から解放された。そして悠々とバスに引き揚げた私を、皆が「☆、小便帰りだぜ」「調子こいてビールをしこたま飲むからよ」などと言わんばかりの視線を注ぎつつ、既にバスの中で待ち構えていた。バスは、次のポイントである近くの免税店へと向かった。この後、免税店、南大門市場、夕食カルビと、まだまだ初日のハプニングは続く。疲れたのでとりあへず今日はこの辺まで。続きは次回、めくるめく☆の世界inソウルへ、いざ、いざなわんんんん〜。
第10回〜10回記念スペシャル「G.O.には負けないぞ!」
ぐあー、鼻が痛い、目が痛い、あ、ども。苦悶するあなたの☆です。花粉さえなければいい陽気なのに…。
ところで、巷では、空前のムネオブーム。その間隙を衝いて出た、勘違い悪趣味活劇会長、「Gンタ・Oガミ」。健康茶を求めて、何で悪の組織と戦わねばならんの?これで「千と千尋」にほぼ匹敵する180億円稼いで会員の配当に回そうとしたというのだから、爆笑。それにしても、よくこんなおっさんに400億近くも投資するよな、ふんとに。不景気で金がないと言って置きながら、こんなとこに払う金があったら、私に投資しなさい、私に!!!!もっとましなことやったる!!!!というわけで、10回目を記念し、私は下記のとおり壮大なプランを考えた。〜10回記念スペシャル・☆の野望・日本復興・そして世界平和〜
1.まず、芥川賞を取る。空前のミリオンセラー。
「喜劇駅前合唱団」:平成大不況の中、1億総失業、総ホームレス。全ての上場企業が破産し、日本国債大暴落。全ての食品に偽装表示が行われ、それに端を発する旧ソ連時代を思わせる物不足と配給制度の復活、商店前は常に大行列。アルゼンチン以上ののインフレと大暴動が起き、焦土と化す帝都。「これぢゃいけない」と立ち上がる、各大学合唱団のOB達数人。廃墟となった新宿の駅前に集まり、歌で荒んだ民衆の心を癒し、そして大きなうねりへ…というストーリーが、現実にマッチしたものとして高い評価を受ける。
2.映画化され、ハートストリンガーともども出演、カンヌ映画祭でグランプリ、ベルリン映画祭で金熊賞を取る。興行収入400億円。
3.テーマ曲を作詩・作曲・歌唱し、これまたオリコン50週にわたり1位独占。日本レコード大賞を受賞する。
4.上記1〜3に伴い、キャラクターグッズ、周辺関連商品を各企業に作らせ、新たな雇用と経済効果をもたらす。もちろん、ロイヤリチーはキチンと貰う。
(例)駅前合唱団チョコボール、駅前合唱団自由帳、駅前合唱団壁紙&待ち受け画面、駅前合唱団醤油トンコツラーメン、駅前合唱団栄養ドリンク。駅前合唱団フリース、駅前合唱団モデルピアノ、駅前合唱団モデル4輪駆動車、駅前合唱団ナイロンたわし…など、枚挙に暇がない。
5.「喜劇駅前合唱団」2、3、4…を作り、上記1〜4を際限なく繰り返す。結果、日本経済、復興す。
6.北方領土を密かに少しずつ買い占め、100%になった時点で「ここは日本になっちゃったよーん」と宣言。ムネオハウスを壊し、☆ホールを建設。
7.世界平和のために活動開始。紛争地域を含め、世界500ヶ所で足掛け10年のツアーを行い、その収益で難民救済、紛争終結工作資金に使う。
8.ユーロに対抗し、アジアの紛争がなくなり、経済が安定した頃を見計らい、通貨統合「アジア」使用開始。
9.アジア地域を自由に往来できるようにするため、関釜トンネルを開通させ、新幹線を東京-下関-釜山-ソウル-平壌-北京-敦煌-パミール高原-カザフスタン-グルジア-アンカラ-イスタンブールまで通す。これにより、本場のドネルを飛行機を使わずに食する事ができる。
10.米ドル、ユーロ、アジア各通貨圏が統合し、更なる統合通貨「アース」創設。国連ででパスポート廃止決議のために働く。結果、ノーベル文学、平和各賞を受賞。世界平和達成される。NHK「プロジェクトX」で取り上げられる。うーん、壮大な野望を思いつくだけなら、すごいことができるものだなあ、人間って(なんじゃそりゃ)。
それではこの調子で、日本復興、世界平和、そしてあなたのために、11回以降も☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第9回〜あけましておめでとうございます
って、今頃何をいってんだか…あなたの☆です。前回から3か月近くもご無沙汰してしまい、ここに書き込むのが今年初となってしまいました。☆マニアの皆様、誠に申し訳ございませんでした。「寂しい思いをさせたね」と囁いて、皆様を抱擁、愛撫して差し上げたい気持ちで一杯です。〜今週の(って、その前の週以前はどうした→省略)最高/最低ネタ〜
(最高ネタ)某S宿混声でも、去る2/16(土)に、我が「ゆかいなコンサート」をまねて、「ファミリーコンサート(ファミコン)」なるものを開催した。かつて2年前の「ゆかいなコンサート8」で初演した「谷川俊太郎の詩による3つの無伴奏歌曲」を再演し、大爆笑を博す。初演時ほとんどアドリブでやっていたのを、今回、遂に完全に楽譜が完成した状態で再演。これを記念し、今年中なら1曲1回演奏につき著作権料50円というお値打ち価格でご提供申し上げます!?
(もっとも、再演に当たり、自分で作っておきながら、かなり楽譜と違うことをやってしまった…)
(最低ネタ)昨日余りにくたびれたので、週末の仕上げに地元目黒で飲もうとしたが、給料日前にも拘わらず、和民、AJITO、雪の降る蔵、庄や、つきぢ植むら、949、悉く満席で入店拒否の憂き目に遭い、キレかかっていた時、元「食彩亭」だった所が独立してできた沖縄料理居酒屋の「ゆがふ」という所に入り、やっと酒にありつけることとなった。怒涛のように4品ばかり頼んだ。ビールとお通しはすぐに来たが、頼んだつまみが30〜40分位してもなかなか来ない。この間、何を頼んだか忘れかけていた頃にモノが2〜3品来て、早速箸をつけた。その時である。店長らしき者が「あ、1品間違えました」と、既に食い始めた別の客のためのゴーヤの胡麻味噌和えを下げようとして、わしは「もう食っちゃったんだけど!!」と拒絶し、食いを継続。わしも頼んだような気もするしそうでないような気もしていた状況の下だったが、明らかに店のミスである。それはまあ許そう。ところが会計の後でレシートを見たら、なんとしっかり勘定に入っていた。気付いたのが店を出てしまった後で、また単価380円の品で店に戻って抗議するのも何だと思って帰途に着いたが、怒りですっかり酔いが醒めた。皆様、目黒に来たらこの「ゆがふ」だけは止めませう。感動しない!!(逆ぱくり)〜☆今週の意味なし〜(新コーナー)
1.♪なんにもない なんにもない まったくなんにもない
〜なんにもないのは八高線箱根ヶ崎駅前。
もっとなんにもないのは総武本線日向駅前。
ただ電車待ってるだけ(30〜60分)。日向は更にわしのマシーン
に電波が入らない。
(いずれも最近行った遠方の客先の最寄駅。)
2.♪かぜがくーる かぜがくーる かぜがくーる
〜風はいいけど、花粉はくんぢゃねええええっ!!
3.♪飾りじゃないのよ涙はハッハーッ
〜鼻水も飾りぢゃありません。とめてくれええええっ!!〜☆のポエム〜
(題未定)
あ
あれ
あれれ
あれれん
あれれんげ
あれれんげの
あれれんげのはな
れんげのはなぞの
れんげのはなぞのに
れんげのはなぞのにね
ん はなぞのにねん
げ なぞのにねんせい
(次回へ続く)んー、ポエムの方がよっぽど意味なしだったりして。では時間なので(何の時間だ)、また、皆様との熱い抱擁のために、次回も☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第8回〜あしたうまれる?〜
ども。あなたの☆です。昨日事務所の飲み会から目黒に戻って行き付けのラーメン屋で飲み食いしていたら、テレビで「雅子様、ご出産の兆候」のニュウースを延々とやっていた。皇太子殿下と一緒にラマーズ法をやるんだらうか?日嗣の皇子ご降誕の折には、皇居前で提灯行列や、都電荒川線や東急世田谷線で花電車が見られることでせう(それは約40年前今の殿下の生まれたときの話)。〜今週の最低ネタ〜何か最高な話はないだらうか
先月に続き今月(今朝=朝9時前から待機)も某S宿混声の臨時練習場所取り合戦に敗れた。四谷、大久保界隈は激戦区なり。各所2名シフトにて臨んだが、くじ引き抽選にも当たらず。わしのいた会場では、確率50%のくじ引きにも外れてもうた。生来からのくじ運の悪いわしに代わって、相方に引かせたが、外した後で、輪をかけてわし以上にくじ運が悪いという実話を聞かされ、はあああああ〜とため息が出るのみ。この分では年末ジャン○で3倍枠になった億万長者の一人に加わることもかなふまい。んなわけで、その帰り道に1週間ぶりという早さで新宿御苑のキンコーズに寄って書き込んでいる次第。〜☆今週のイチオシ〜
昨日新宿で飲み終わった後に、南口に近い「ヴァージンストア」というでかいCDショップで、ショスタコの2番3番が1枚に入ったCDを見つけて買うた。なかなか探す機会がなく、たまたま1,500円で売っていたのが見つかったのをこれ幸いに手に入れた。「そんなもんとっくに買うてるがな」と言われそうだが…〜話し合いウラ話〜
お茶の水の附高は、うっくまん氏がメールで書いてあったように、階段が怖かった。ダッシュで駆け下りたらすべって確実に死ぬな、と思った。21:30に話し合いを終えてめうがだにの駅前の「和民」で飲む。あまり大っぴらに言えない某指揮者の話でとても盛り上がる(何のこっちゃ、まあ、うちらだけではないから、この掲示板を見てるのは)。〜☆のポエム〜前回はクサ過ぎました。
「どこへ」
どこへ行く、我が心。
どこへ行く、私の未来。
見えそうで見えない、行く先が。
どこへ行く、この人々は。
どこへ行く、何を欲して。
見えそうで見えない、この人の波の果て。
どこへ行く、この国は。
どこへ行く、この国のヒト、モノ、カネ、ココロ
この国に残るものは何だろう。
みんなよそに持ってかれ、または自ずと消え、なくなる、
この国のヒト、カネ、モノ、ココロ。
あるのは舵取り利かずに漂泊する、「不沈空母」。
この国に何か残るものは存在しうるのだろうか。
されど、かかる憂いは、
50億歳のこの地球(ほし)の前には屁のようなもの。
そりゃそうだ。
どこへ行く、この地球(ほし)は。
どこへ行く、無辺の宇宙を。
「そんなこと、お前なんかにわかるもんか」
この地球(ほし)に言われちまったぜい。そんだばまたいずれ、☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第7回〜メール修復記念号〜
前回の倍位ご無沙汰でやんす。あなたの☆です。10回記念も何とか終了し、この3連休に来て漸く一息。この間、後述のとおりメールがイカレてしまったり、リストラピンチにそろそろ喘いでいたが、漸く精神的に落ち着きつつあります。さあ、けふも☆の世界へ〜〜最低ネタ2題〜
1)事務所の大将(ボス)のわしに対する態度が最近おかしい。仕事のやり方が悪いと悉く難癖をつける。毎日出づっぱりで昼飯を食う暇もなく、夕方遅く帰ってくれば「何でもっと早く出かけないんだ」と。しょーがねーじゃん、先方の都合だってあるのだから。別に油売ってる暇なんざこれっぽっちもないのに。事務所にいたらいたで女の子から 受託書類の質問攻めとその処理で、何も自分の仕事が出来ぬ。わしが帰ってくるまで後生大事に待ってないで、 後方支援をせいと言うているのに。いつまで経っても片付かぬ。んでまた怒らりる。んでまた出づっぱり。んでまた 質問攻めと不明点処理。ノイローゼになりそうだ。これってリストラの下地造りかとさへ思ふ。次を考えとかねばな るまいな。2)11/9、代表からのメールがやたら受信に時間がかかると思ったら、何と文字化け99ページ分!!!我がマシーンの保存文書を全部クリアーにしても93/99ページ分しか入らぬ。我がマシーンはアステルのサーバーから読みこんで受信するため、サーバーから99ページ分フルに読み切らないと、他の文書を読みこむ時にまた一からX/99ページ分付いて来る(要領一杯になる所まで入る)。受信にえらい時間がかかる。当初、慶 太郎氏からのクレームがきつかったので、代表にはめげずになどと少し慰めたが、直す方法が見つからぬままこの調子では、流石のわしも閉口した。漸く今日、アステルに直す方法を聞くことが出来、アステルのサーバーに残っている膨大なデータの除去に成功し、平常通りの受信状態に戻った。
〜☆3連休の予定(終わったのもあり)〜
11/23(金・祝)前夜給料日だったので、上記?のうさ晴らしで、うまいもんとうまい酒を飲み食いし、¥17,000ほどを消費した挙句に、久々にゲロゲロになるまで二日酔いし、終日オフ。勤労感謝せねばなるまいが、今は仕事のことを考えると憂鬱になるので、休み中は逃避することにした。夕方買い物に行ってカレーをしこたま食うて動けず、早めに寝る。
11/24(土)朝9:00からS宿混声の2月分の場所取り。それが終わってまた別会場の場所確保のためのミッションを練るため、役員各位にメールで調整を行なう。その後キンコーズにて本文の書き込み。
15:00にダスビの練習で森下文化Cへ。多分養老で飲んで帰るでせう。
11/25(日)原宿(ヴァッシーアット?)辺りで久々のTRK挙行といふ説が。正に「ハラジューク・トルコ」(アエラ級ギャグ。それはセルジュークだって)。その後原氏の熱烈な要望によりめうがだにまでHS運営懐疑と戦局会議(それはダスビ用語)。んでまた池袋辺りで飲むだらう。〜☆のポエム〜(新規書く、否、新企画。どなたか曲を付けて下さい。ゆかいなコンサートなどで歌います。)
「あきのみそのに」〜新宿御苑にて〜
いてふの葉
もみぢの葉
あはれ、はらはらと落つ。
芝のうへに
みづのおもてに
そしてをみなの髪のうへ。
ああ、をみなよ、をみなよ
その錦を打ち払ひたまふこと勿れ。
その黄色、若しくはくれなひは
わたくしそのものゆゑ。
そろそろ、森下へ行かなくてはなら布で、この辺で。
んだば、っつぎもおお〜、☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜っぺえええ〜
第6回〜只今構造改革中〜
かなりのご無沙汰でやんす。ツツジ科混声合唱チーム出身の☆です。しばらくアクセスを怠っていたうちに、世間では「超訳」ブーム。キンコーズで見て爆笑し、店内の人々から顰蹙を買う。そんな私ですが、皆様はご機嫌如何ですか?〜☆構造改革進行中スペシャル〜
“その1:声と顔の構造改革”
8月26日(日)、合唱始めて15年目の私に一大転機が訪れた。その日は某S宿混声の、主に新人を対象とする、瀬戸理恵子先生によるヴォイストレーニングの日だったが、普段の残業による練習不足を補うために私も参加した。ところが、いつもどおり口、軟口蓋、目、鼻を全開して臨戦体制の私に、瀬戸先生、「せめてその半分にして」と指示。言われたとおりにしてみる。なんとなく歌った気がしない。更に、「下あごの力を抜いて、あごを落とさないように。あ、目は全開しすぎない方がいいかも。」下あごはそのままで、上あごのみで口の中を広げ、響きを作るということだろう。しばらくマンツーマンで、声を見てもろうた。意外にも、先生やその場にいた団員からは「そっちの方が良い」「少し声がマイルドになった」と。ちゃんと鳴ってるのかどうか心配だったが、「充分聞こえる」とのこと。瀬戸先生も、「今までちゃんと見たいと思っていたので、実現できてよかった」と。その日の夜、心臓ストリングの練習でその発声をしたら「なんか体調でも悪いのか?」というような反応が…
その後、9月16日(日)に初めて男声だけのヴォイストレーニングを、田代先生という人(男)を迎えて行なったが、瀬戸先生と同じような事を言っていた。再確認のような練習で、意味があった。メソッドの余りの酷似に、聞いてみたら、瀬戸先生と同じ師匠(瀬山詠子先生)から少し指導を受けたことがあるとのこと。発声の傾向はゲロゲロベースから、マイルド&リリックバリトンに流れが強まっているように見えるが、どうなんでしょう、原先生。改造が進んで、あの中学生達に「☆、何かつまんなくなった」と言われそう。“その2:頭の構造改革”
去る9月14日(金)、床屋に行く暇がなくて伸び放題だった髪を、生まれて初めて美容院でカットしてもらうことになった。これまた、S宿混声がらみで、最近入ったソプラノの人が横浜の美容院に勤めていて、その営業時間後の店員研修会のモデルを探しているとのことで、ちょうど良い機会と思い、引き受けることに。仕事を終えて21:00頃、横浜駅前の店に到着。おしゃれな店構えで、若い女性客とこれまたおしゃれな店員さん達のいる空間に足を踏み入れ、かなり緊張。ところが、店が混んでいてスタートが遅くなるとのことから、客としてすぐスタートしてもらうことに。まず、衝撃的だったのが、カット前にいきなり洗髪。しかも仰向けで。なおかつ、自動洗髪機(そんなのがあるんだ!お初。)で7〜8分洗うことに。頭を半分マシーンに突っ込んで、温水噴射ああっ!!おおおおおおおおおおおおっ!!!こそばゆいいーー!!!初めての感覚にサイドの握り棒を握りっ放し。例えて言うなら、食器洗い機に頭を入れたと言うべきか、ノズルが数10個あるウヲシュレットに頭を突っ込んで毛穴という毛穴を徹底洗浄してもらったような…(ムチャクチャな例えだな)。あー、気持ちえがった。そいで髪を乾かしてもらって、しばし休憩(ソフトドリンク付き)。いよいよカットに入る。カット中は眼鏡を外していたため、髪の変化がぼんやりとしか見えなかったが、「ああ、少しずつかっちょ良くなってるな」とおぼろげに見ゆ。90分位でカット終了。最後にワックス(ほのかにいい香り)なるものをはじめて髪につけてもらい、「櫛でとかして分け目を付けることをしないで、手で最初髪を立てて少しヴォリュームを出し、流して整える方がいいですよ」とアドバイスを受けた。そのワックスを別に頂き、以後、毎朝それを使っている。30日の心臓ストリングで、改革後の頭を披露します(後は中身だな、問題は…)。〜☆3連休の予定〜
9/22(土)朝から四谷でS宿混声の練習場所取り。それ以降はオフ。体休めたい。
9/23(日)湘南市民コールを聴きに藤沢に行く。都田氏からの招待で。某H歯医者が「季節へのまなざし」を振る。
9/24(月振休)ツツジ科混声合唱チームOB・OG会の幹事会があるかも。まだ場所が取れてない。延期になればオフ。〜☆今週のイチ押し〜
駅で海外旅行のパンフを見た。「モルジブ8日間」19万何がし円〜
インド洋の島々でのんびりしてえ〜。あ、セイシェルなんかもいいな…
…って、それどこぢゃないよな、これから一番危ない海域になるってのに。多国籍艦隊集結で。早くロシアからコムソモールにアフガンに前進してもらい、早期終結してもらおう。もう疲れたので、この辺で。今度はどんな超訳が飛び出すだろう…(良かったら本文から使って下さい)
では、いわゆる一つの男性の音声ボランティアの皆様、次回も☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第5回〜みちのくひとり旅(大曲花火)から帰ってきたよ〜
大曲の花火競技大会、見ました。もう、他の大会とレベルが天と地ほど違う。何しろ、全国の花火屋さんのコンクールだから、1年間丹精込めてきた新作花火が次から次へと披露される。気合の入れ方が全く違う。今日はいつものコーナーをブッ飛ばして、みちのくひとり旅の顛末をスペシャルでお送り致します(長文)。〜いざ、大曲へ〜
東京駅から13:20何分か発の「こまち」に初めて乗った。自由席だったが、40分位前に待っていたので、無事座れ、CD(ショスタコの7番「レニングラード」)を聴きながら3時間余りの快適な時を過ごす。一番北は盛岡までしか行った事がなかったので、秋田県内に入ってからは、車窓の景色をつぶさに観察した。田沢湖の辺では湖を探したが、森、山、川(きれいな水だった)のみで、とうとう見えなかった(山の向こうらしい)。角館の駅の辺では武家屋敷を確認できず、大曲に至るまでは、ひたすらあきたこまちと思われる田んぼがダーっと広がっていた。〜大曲市内のありさま〜
16:40何分かに大曲駅着。既に会場への人の波ができていた。駅前はショッピングセンターが一つあるのみで、後は小さな商店ばかり。会場への道は、そこそこの商店街になっていて、駅周辺に住むにはあまり不便を感じないで済みそうな町だ。会場の雄物川(秋田最大の川)緑地へ向かう途中、昼花火がもう上がっていた。あれも競技の対象と思われ、見たことのない色の煙を見ることができ、面白かった。〜花火だよ全員集合〜
道々酒と食い物の調達をし、会場の緑地への堤を登って、次の瞬間私が目にした光景は!ウジャアアアアアアアアッと河原という河原、堤という堤をギッチリ埋め尽くした人の粒粒粒…。まるで何かの固体の分子構造が無限に続くかの如く。その真ん中を申し訳なさそうに雄物川が流れている。一つのイヴェントに人はこんなに集まるものなのか!せめてそのうちの100人でいいからウチの演奏会に分けてくんねいか、大勢に影響ないわけだし…つい思ってしまった。ちなみに昨年は65万人集まったらしい。18:50頃からの夜花火の部を見た。各者8分の時間内で、規定種目でどぇかい尺玉を2発、その後創作花火でド派手な作品を音楽にシンクロさせて連発、連発、惜し気もなく打ち上げまくる。その全てがカラフルで、おしゃれで、派手で、2段、3段構えで凝らされた光と形と音の工夫には、心憎い芸の細かさを感じるものばかりだった。夜空をキャンバスに、心の趣くままに繰り広げられる造形美!正に、爆発だ!(ぱくりです)個人的に一番印象に残ったのは、ハチャトウリャンの「剣の舞」に乗せて、テンポ・リズム共にぴったりのタイミングで、正に数多くの剣の形をした花火を打ち上げていたのには最高だ!感動した!(またぱくりです)〜さらば大曲〜
21:00頃に帰りの足が心配になったので、あと10組ほど残したところでやむなく撤収、大曲の駅へとひたすら向かう。道々「うらああっ、後輩に馬鹿にされて黙ってらんねー」「おめ、やめれ、やめれってば」祭りの時には必ずどこかである地元若い衆の喧嘩を横目に見つつ、家屋や商店の上になお打ち上がるどぇかい尺玉と大音響を見聴きしつつ、去り難し、大曲。との思いを抱き、30分ほど後に大曲駅に着く。その思いのためか否か、大曲は私をなかなか去らせてくれなかった。22:08発の臨時の上り「こまち」に乗り、余裕をもって盛岡で寝台を待つつもりだったが、既に駅前は長い行列をなしていて、入場制限に引っかかり、次の22:27発のやはり臨時「こまち」にほうほうの体で乗り込んだ。1時間余り立ちっぱなしで(通勤電車ぢゃないのに)、何と途中上下交換の信号待ちで2〜3回止まり(新幹線なのにいいい、なんと単線)、盛岡に着き、23:45発の寝台「はくつる」に何とか滑り込んだ。〜ブルートレイン・ファーストコンタクト〜
「ブルトレ」ってもう死語?今あまり聞かなくなった気がするが、とにかく生まれて初めて乗った印象は、ぼろい。とにかくぼろい。車体の外装があちこち剥げまくり、それを申し訳のように青ペンキで上塗りしている。昔は日本全国で沢山の本数が走っていたのに。大森に住んでいた子供の頃、夕方の東海道線の踏切で、「さくら(長崎・佐世保行き)」「はやぶさ(西鹿児島行き)」「みずほ(長崎・熊本行き)」…を飽かず眺めていた頃は、どの車体も光り輝いていた記憶がある。大人になっていつか乗りつぶしてみたいと思っていたら、「みずほ」は廃止になるし、何と今「さくら」と「はやぶさ」は合体してそれぞれ長崎行き・熊本止まり。「富士」も大分止まりだし。鹿児島へいずれ寝台で行く夢は潰えてしまった。今飛行機全盛だからな、速いし、少し安くなってるようだし。東北線では、昔「ゆうづる」が3〜4往復していたようだが、「北斗星」等を除いては、この「はくつる」だけになってしまった。寝台は、上段だった。下段には既に寝ている人があり、カーテンが引かれてあった。梯子を登って寝床に至っ
た。窓がない(下段の脇からは外が見えるが)。今どの辺を走っているかが全くわからない。高さは、狭山青年の家の2段ベッド位。恐ろしいことにサイドは、2本のベルトが上から懸かっていて、それが唯一のストッパーであった。人によっては落ちないかどうか心配だった。照明も、以下にも30年以上前の年代物の仕様だった。ずっと立ちっ放しだったので、面と足を洗ってとっとと寝る。が、結構揺れて眠れない。CD(上松美香のインディアンハープ曲集)を聴きながら寝てみる。60分ほどの演奏が終わってしまった。いつもなら聴きながら即爆睡できるのに、まだ眠れない。ビールが余ってたので飲もうかと思ったが、逆に揺れで気持ち悪くなってネ○ロはいたらいやだし…。不思議なもので、昼間移動中の電車やバスでは心地よく眠れるのに、横になってこんなに眠れないのは初めての経験だ。電車の揺れは、前後の揺れでは快感だが、左右の揺れにこんなに不快感が生じるとは(○る○る大事典か、おれは)。中途半端なまどろみがどれだけ続いただろうか。大宮到着を告げるアナウンスで外が白んでいるのに気がついた。面を洗い、寝床と荷物を整理して、上野まで通路にある補助椅子でやっと外を見たら、もう見覚えのある川口リリアの見える風景となっている。後はとっとと上野駅に滑り込むのみだった。時に朝6:40(普通寝てるぜ、日曜のこの時間は)、私のみちのくひとり旅(大曲花火編:車中1泊)は終点を迎えた。どお、来年行きたくなったでせう。いや〜あ、花火って本当にいいもんですね(どこまでもぱくり)。顰蹙を買いさうなほど長編を書いてしまうた。それではまた、みちのくひとり旅2へ、いざ、いざなわんんんん〜(っていつだよ。大体あんのか?)
第4回〜本日出発みちのくひとり旅(大曲)〜
1ヶ月もご無沙汰してしまいました。あなたの☆です。久々に小金(決算ギャラ)が入りましたので、勢いで秋田大曲の新作花火大会に一人で行ってきます。新幹線乗る前の時間を利用して書き込んでます。てなわけで、けふは早速〜☆今夜の行動情報〜(のみと致します)
こまちに乗るのは初めてです。昼過ぎに出て3〜4時間程で大曲。あ、関係ないが☆の母は近くの横手で産まれました。一人だから陣取りは適当に空いてる所に入らせてもらって、酒飲みつつ(みちのくひとり酒)、新作の花火を鑑賞。終わったら大曲駅に一直線、盛岡に出て寝台に乗って明日の朝上野着予定。よって、練習には出られます。そんだば、これから行ってきます。詳しい模様は次回レポートします。
んなわけで、次回も☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第3回〜ババンババンバンバン♪うなぎ食ったか〜
ども。あなたの☆です。けふは全国的に土用丑の日。しかも、ギャラ(俸給)の入った日だから、うなぎにまっしぐらだった方も多いのでは?わたしも新宿小田急の上にあるうなぎ屋でうな丼を食らいました。今年はもう一回あるようですね、土用丑の日。うなぎ屋さんに取っては、年商の何割かを占める重要な稼ぎ時ですね。そういえば、この猛暑のおかげで一瞬好景気に沸く、ビール屋さん、エアコン屋さん、海の家…。景気回復の影でこの人たちに貢ぐわしら。個人的に構造改革をしなければ、本能的に散財してしまいさふです。〜今週の最高ネタ/最低ネタ〜
外山雄三氏の指揮で初めて歌った。インパクト非常に大。写真やテレビでしか見なかったが(名門指揮者一家という断片的な知識と、「いかりや長介」に似たおっさんといふ印象のみ)、意外に甲高い、張りのある声で、ガンガン曲を通しまくる。練習の進め方に一切の無駄がなく、アマチュアの扱い方もよく心得ている(勿論そうじゃないと仕事にならないだろうから)。最初、歌う側に指揮の見えない人が多く、練習会場の長机(足を畳んだ状態で)を2つ重ねてその上に乗り、漸く全員指揮が見えるようになったが、外山先生、構わず振りながら足で思いっきりテンポを長机に叩き付け(机に乗る前と同じ状態か、更に強化)、長机がいつ叩き割られるかと思うほどだった。最高だ。ソロの岸本力先生も大先生にとても気を使っていた(目が泳いでいた)。けふ、外回りを終えて新宿に戻る途中、思い切り雷雨に遭遇し、30〜40分以上足止めされた上、滝のような雨でクリーニング下ろしたてのスーツをしとどに濡らした。傘を持っていても全く持たないのと同じ状態である。最低じゃ。〜☆今夜の行動情報〜
うなぎを食った(前述の如し)。けふはギャラが入ったので、目黒でまた、豪遊? でも明日は熊谷に営業だ。熱中症にかかりに行くやうなものだ。ゆりちゃん(先日アンサンブルナウで会ったA原女史)は偉いよな、よくあの関東一の炎熱地獄と極寒地獄を毎年、毎日体感して平気だよなあ。〜☆今週のイチ押し〜
やっぱ、「連弾の会」?他の楽器のアンサンブルを聴くのも楽しみでやんす。今回もまた、お別れの時間が来てもうた。
〜☆今週のお別れの歌〜
♪ヴぃいしぇずなーみ、ヴぃいしぇずなーみ!♪
それでは、愛するあなたと世界平和のためにまた次回も…さあ、☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第2回〜誰か、私にパワーを〜
先日(7/14)は練習を休んでしまい(しかも無断で)、誠に申し訳ありませんでした。疲労の蓄積とあまりの暑さに、この週末ダウンしてしまいました。貴重な練習だったのに大穴空けちまって。今日は仕事復帰しましたが、今市。2日連続でうなぎを食って滋養つけても、何かパワーが湧かない。どこか体の機能がイカれてますね、認めたくないけど、歳?新たなドーピング法を御存知の方、教へて下さい。あ、これもコーナーにしようかな?「☆にパワーを〜When you give power upon a ☆〜」係まで、お願ひします。〜先週+今週の最高ネタ/最低ネタ〜
ようやく、7/4に庄や目黒408店が新装開店しました。あの庄やがと思う位小ぎれいになった。ただ、死角が多くなって、全体が見渡しにくく、店員が客のオーダーコールに気づかなくなる確率が高くなった。もっとも開店当初は、増員や、こまめに歩き回る姿勢を見せて、その欠点をカバーしていたようだったが。開店2日間は1,500円でまぐろ・かつお・ビールの食べ飲み放題でした。ああ、馴染みのない目黒界隈の店を放浪してたつらい日々ともおさらばだ。今更ながら有難味を感じる。感動した!!最高だ!!(某首相風に)前述のとおり、練習出られなかったのは最低でしたが、仕事終ってとっとと久々に帰って休めると思ったら、なんと、明日納期の仕事が急に入りやがって、さっきようやく片付いて、今こうしてキンコーズにいるわけです。最低でごわす。※ちなみにおうさる氏から問いのあったキンコーズとは、コピー、印刷、製本、パソコン時間貸しで文書作成させてくれるなど、事務まわりの色んなサービスをしてくれる、チェーン店なり。〜☆今夜の行動情報〜
もう、疲れたので、目黒庄やでメシ食って寝る。〜☆今週のイチ押し〜
もうすぐ花火の季節。7/20には早速横浜に行ってきます。やっぱ、これ見ねーと、夏って気にならぬ。今回も、もうお別れの時間でござる。皆様からの書き込み、メールをお待ちしております。それではまた…さあ、☆の世界へ、いざ、いざなわんんんん〜
第1回〜今週の最高ネタ/最低ネタ〜
今日から不定期に、キンコーズにいる時だけお送りする、新番組「誰も知らない☆の世界トピックス」。さあ、今日からあなたも☆との距離がどんどん近くなりますわよ!!〜今週の最高ネタ/最低ネタ〜
あー、NEWシェーバーと共に鼻毛カッター買いました。今朝試しました。すっきりしました。最高です。ミ−テング中に所長あての電話を打合せ中だからといって終ってから報告したら、何ですぐ取りつがねーんだ、何分たってるんだと怒られた。しかも、客からじゃなくて、今週末の飲み会場からなのに。言ってくんなきゃわかんねーだろ、緊急かどうか。しかも前にミーテング中に取り次いだら怒ったくせに。最低じゃああああああああああああああああああああ!!!!!〜☆今夜の行動情報〜
目黒の庄やが6月下旬新装オープンといっておきながら、まだ開店しておらず、鬱憤晴らしができない。危険だ。今夜もどこかで独りゲン直し。〜☆新譜情報〜
ピアノと演歌歌手のための「男のワルツ」(構想中)
「谷川俊太郎の詩による3つの無伴奏歌曲」(誰か浄書して下さい)あ、もうお別れの時間が近づいてきました。皆様からの書き込み、メールをお待ちしております。それではまた来週も(?)、さあ、☆の世界へいざ、いざなわんんんん〜